62 母の都々逸

 実は、というのもおかしな話だが、母は都々逸の名手であった。三味線はド素人だったけれども、自分の都々逸に合わせる程度には弾けた。それで、何かの折に知己の人たちが一献傾けたりする機会があったりすると、事情を知った何人かが母にひと節所望した。何度かにいちど、たまーに彼女はそれに応じた。
 まだ小学校に行くか行かぬかの幼い私だったが、母の美声には聴き惚れた。都々逸は倍音列にもとずく和声の体系とは無縁の声による。もちろん、ベルカント唱法とも関係のない、しかし美しい声色による、言ってよければ天女の歌である。高音を絞りだす母のこめかみの表情を私はいまも忘れられずにいるほどなのだ。
 
 濡れるほどではない雨なれど 世間の人目へひらく傘
 うしろからかける羽織もぬがせる時と 違って重たいわかれぎわ
 誠さえあればいつかは通じるなどと 諺なんかはみんな嘘
 
 こういう類の都々逸を唄っていたのかどうかまでは覚えがないが、艶の気配だけは感じ取れるマセたガキだったのである、私は。

2011年1月7日